化物語的ギャグ会話は、効果的に萌えを演出する

 「化物語」に関連して、ラノベ調ギャグ会話について文研のN氏にされた質問が面白かったので、書き残します。
 N氏は、「化物語」的な会話について、

1、なぜ、ギャグの全てに突っ込んでしまうのか。突っ込まないほうが面白いギャグもあるのではないのか。
2、なぜ、主人公の男は情けない叫びで突っ込むのか。もっと激しく突っ込むことはできないのか。

 という二つの疑問を提示しました。
 私の考えとしては、双方「萌え」に深く結びついています。

 1つ目の質問、「なぜ、ギャグの全てに突っ込んでしまうのか」については、「主人公がヒロインのボケを全て知覚できる」ということを示すのが重要です。
 主人公がヒロインのボケを残らず拾うということは、主人公がヒロインより知的に優れていて、ヒロインの考えていることはお見通しであることを意味します。
 つまり、「男が女を支配する」という古式ゆかしい男女関係を提示しているのです。

 わかりやすい例としては、ツンデレです。
 ツン/デレとは、理性/感情です。
 普段は理性によってツンツンしているヒロインが、主人公に対して、感情的にデレデレする時、読者はそれを「かわいい」と評します。
 つまり、男の理性によって、女の理性が無効化され、女が感情に従う時、「萌え」が発生するのです。
 男の「自分の理性で、相手のの理性と感情を支配したい」という欲望が、ツンデレ萌えを産むのです。

 2つめの質問「なぜ、主人公の男は情けない叫びで突っ込むのか」も、ここに関係してきます。
 オタクというのは、繊細な生き物です。
 女を支配したくても、暴力で支配したくはないのです。両性の合意の上で、自らの暴力性を自覚しないまま、ソフトに支配したいのです。
 だから、ツッコミは弱々しくなります。
 自らの暴力性を際立たせず、しかし相手を知力で、理性で上回ること。それがヒロインに萌えるためのエクスキューズ、言い訳として重要です。

 ヒロインが明白にデレデレしながらも、形式的にツンツンすることで、主人公と読者は「俺はヒロインに虐げられているんだ」というポーズをとりつつ、「でも心はがっつり掴んでいるんだぜ」という確信を得てヒロインを支配し、萌えることができます。

 ヒロインが横暴だったりドSだったりするほど、読者は安心して被害者ヅラをし、萌えることができます。
 このような意味で、「化物語」は非常に完成度の高い作品でした。
 ヒロインの性格、会話、ギャグ、怪異という設定。全てが、「萌え」を効果的に演出する装置として機能しています。


 作中で一時、「主人公が女の子を魅了する能力を持っているのではないか」という疑惑が立ち上がります。
 結局その話は、「もし主人公が魅了の能力を持っていたとしたら、女の子達は自意識を失い、操り人形になってしまう」という推測の元、「そんなやつは一人もいない」という理由で否定されています。

 しかし、「読者」による「ヒロイン」への魅了の能力は、「作者」という媒介を経て確実に発動しています。
 西尾維新は、読者の「ヒロインを支配したい」という願いを汲み取り、どうすればそれが幸せな形で成就するかを考えたのでしょう。
「自意識を失い、操り人形になってしまう」なんていう、見え見えの不器用な手は使わずに。
 読者の無意識を汲み取り、受け入れやすいように加工して、「読者によるヒロインの魅了」の巧妙な形として、「化物語」を生み出したのでしょう。





 えー、好き放題言って来ましたが、化物語的な会話と萌えについての、一つの見方です。
 私はこういう形式が効果的であると評価してはいますが、「自らの暴力性を自覚しないままにヒロインを支配する」という倒錯した形式を、不健全であると思っています。
 まあ、結局ライトノベルとかアニメとかの恋って現実の男女関係の鏡写しなんで、あらゆる恋愛が不健全であるという見方もできてしまうわけですが。
 個人的には、もっとまっすぐで、より大きな萌え、より大きな愛をもたらす表現形式が可能だと信じています。まだ発見してませんけど。