生き延びるための思想 ジェンダー平等の罠

生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠

生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠

 えー、上野千鶴子です。
 いっこ前のエントリを見て分かるかも知れませんが、私の最近のマイブームはフェミニズムです。
フェミニズムとか、怖いオバサンが理論武装するための思想でしょ」
 と、思っていた時期が私にもありました。

 しかし、実際に勉強してみたら、フェミニズムは「男と女がどうすれば一緒にやっていけるのか」という問いに真摯に取り組んでいる思想だと思いました。
 男と女の関係を自覚し、批評を加えることで、より良い関係を模索しているのです。

 とりあえず、本書の中でnisadako的に最も「キた」3つのフレーズについて書いていきます。

フェミニズムは「生き延びるための思想」である。
 本書では、女性兵士の問題について多くのページを割いています。
 女性兵士の問題は、女性の権利を主張してきたフェミニズムのゴールは「男と同じように兵士として人を殺す女」だったのか、という問いに突き当たります。

 この問いに著者は、ノーと答えます。
 そもそも、戦争をするための思想は、国家や家族のために自分を犠牲にするというロマンティックで英雄的な思想であり、「死ぬための思想」ではないかと著者は問いかけます。
 そういった、男が作った男らしい思想に、フェミニズムは「生き延びるため思想」として対抗すべきではないかと著者は主張します。

 フェミニズムはダサくて、日常的で、「今日のように明日も生きる思想」である、と。そうじゃないと子どもを産んでいられない、と。
 だから、フェミニズムは「命より大事なものがある」というイデオロギーを否定し、テロにも戦争にも反対すると、上野先生は宣言するのです。


 「男と女はどこまで同じになるべきか」という、フェミニズムのもっとも極端でもっとも難しい部分に、慎重に言葉を選びながら肉薄しています。
 外科医の執刀を見守る家族の心境は、たぶんこんな感じだと思います。


フェミニズムは「言葉を奪われた者の思想」である。
 フランス革命以降、(男性市民の)人権思想の芽生えの中で、女性たちもまた市民として、一人の人間としての主権を手に入れるための戦いを始めました。
 しかし、そこで直面したのは、学問という男性の世界に、女性が女性自身を語るための言葉がないという事態でした。
 だから、フェミニズムの先人達は、自分で言葉を作り出しながら、思想を語らねばならなかったのです。
 まるで、母国を追われた難民が、知らない土地で必死に生き延びようとするように。

 今日ではフェミニズムは学問として一定の地位を得て、女性を語る言葉として機能し始めています。
 しかし、その他のマイノリティ、同性愛者や、第三の性や、あるいは性と関係のないマイノリティには、まだ自分を語る言葉がありません。
 そういう状況下で、「女性にフェミニズムの言葉があるように、私達の言葉を作ろう」と言い出すマイノリティが現れ始めました。
 このような状況を、著者はフェミニズムが「コトバを誘発する、思考の装置」として成功していると評しています。


 「フェミニズムと言葉」はあちこちで取り上げられている問題なのですが、この部分を読んでようやく話の一端が掴めました。
 それにしても、「コトバを誘発する、思考の装置」ですよ。
 本の中では「火中の栗を拾うパフォーマンス」とも表現していました。


社会学は「此岸の思想」である。
 これは、あとがきでポロっと出てきた話。
 キリスト教で言う「祈り」は、神へ祈ることで弱者が救われるという「彼岸の思想」です。
 どこかに神という超越的なものを置き、そこへ向かって一心に祈る。
 著者は、それをあまりに無力だと嘆きます。
 社会学こそが、人間が引き起こした問題なら人間に解決できるはずと信じ、いま・ここを生き抜くための「彼岸の思想」であると、著者は言います。


 社会学部の学生として、身が引き締まる思いでした。
 彼岸の問題を、彼岸で解決するための力としての社会学
 どんどん我が物にして、活用していきます。