彼岸の時間――<意識>の人類学

彼岸の時間―“意識”の人類学

彼岸の時間―“意識”の人類学

 滝本竜彦超人計画」の中で、滝本さんの脳内彼女のレイちゃんが紹介してた本。

「人類学」というのは、世界各地の民族の暮らしぶりを調べることで、どこへ行っても変わらない「人類」に普遍の特徴を探す学問。たぶん。
 この本は「<意識>の人類学」ということで、ネイティブ・アメリカンやアマゾンの原住民、沖縄のシャーマン文化など、世界各地の人類が行なってきた<意識>の扱い方について調べている。
 まあ、要するに儀式とか瞑想とかドラッグですね。

「彼岸の時間」という題名通り、本書では「時間」がキーワードになる。
 第一部「反転する時間」
 第二部「循環する時間」
 第三部「消滅する時間」
 第四部「前進する時間」
 第五部「明滅する時間」
 というように、時間というキーワードで世界中の民族のシャーマニズムや神秘体験を読み解いていく。

 人類は時間の中で生きている。時間というのは、人類の意識が創りだした架空の概念である。

 アマゾンの先住民族は、小さな共同体の中で「時間は循環している」と考え、季節ごとに祭をし、シャーマンはトリップ状態に入ることで時間を越えた。

 現代の我々は、資本主義とグローバリズムの中で、「時間は未来の発展に向けて前進している」と考え、企業や国家のために働く。
 つまり、人間の寿命が数十年であるにも関わらず、我々は国家や企業が永続することを目指して働く。
 資本主義の持つ「無限に直線的な時間」という時間観念は、企業にはあてはまっても寿命のある人間には当てはまらない。

「禁欲的な労働は収穫のためでも、最後の審判のためでもなく、最終的には企業や国家の永遠の発展のために行われることになる。祝祭のための過剰なエネルギーは未来への発展のために永遠に先送りされていく」
(P.244〜245)

 そして、瞑想やドラッグが目指すのは、時間の停止、時間の超越だ。
 もちろん、修行が一人で悟りを開き、時間を超越したと言っても、他の人には関係ない。社会の中で時間は動き続け、瞑想やトリップから覚めた修行者の前には、終わらない日常が広がる。

 ただ、時間の停止を体験した人間の前には、時間という観念によって文節される以前の、ういういしい日常が広がる。
 それが古来多くの人類が求めてきた境地であり、また、祝祭によってふつうの民にも体験されてきた境地なのだろう。

 では、現代の我々の生活の中に、時間が止まる瞬間はあるのだろうか。
 国家と企業によって無限に前進していく時間から外れ、一人で時間の淀みに立ち尽くすような経験を、我々はしているだろうか。

 まあ、おそらくはエンターテイメントによって「時間を忘れる」とか、大学生活という「4年間の夏休み」を満喫するとか、そういう形でふんわりと実現しているんだろう。

 でも、それってどうなんだろう?
 自分の意志で自分の意識の時間を止めることはできないんだろうか。
 その辺を目指して思考している。