物語消費論改


最近、てきとーに深夜アニメを見ては感動することを繰り返している。
最終回だけ見たリトルバスターズは素晴らしかった。
リトルバスターズ的な共同体は素晴らしいし、それを築きあげようとする理樹達の努力の美しさがヤバい。

しかし、リトルバスターズの視聴者が、自分の「リトルバスターズ」結成に向けて動いたという話を、ぼくは聞いたことがない。
(本当は一件だけ知ってるけど)

ぼくの最近の興味は、こんなに道徳的で感動的で意識が高くてスピリチュアルなアニメを見ておいて、なぜアニオタはそれに感化されないかという点にある。
あらゆるメッセージが、二次創作され、ネタ化し、上滑りしてしまう。
プリキュアの制作陣とか、自分たちの女児の道徳教育と購買意欲増進のための施策がことごとく薄い本に回収されうることについて、どう思ってるのかけっこう本気で心配している。

いや、たぶんぼくのこの思考も不健全なんだと思う。
萌えアニメも厨二アニメも仮面ライダーも全て意識高く解釈してしまうというのは、一種の病気なんだろう。
誠心誠意ブヒれるアニメを作ってくださっている作者の方に申し訳が立たない。マジで。

話が大幅に逸れたというか、一度として本題に入っていないけど、ぼくは「物語消費論改」の目次で「寓話の失効」というキーワードを見た瞬間、以上のような思考を展開したのである。
「日本ではさんざん反原発の物語を作ってきたのに、なぜ福島の原発事故が起きてしまったのか」
という問いは重い。

しかし、いざ感想を書こうと読み返すと、なかなか内容をまとめられない。
通勤電車の中で読み流しても、内容は理解できていないのだと改めて認識、反省。

物語消費、サーガ、安易な大きな物語回帰としてのナショナリズム
そして寓話の失効。
要再読。

物語消費論改 (アスキー新書)

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